時代に逆行しているかもしれないが

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    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    令和という時代に入ってからというものの
    どうも人と人との心の通い方が変わってきている感じがする。
    良い意味では便利になり、かつ効率的。
    この作用がどんどん進んでいけば
    その先には『誰でもできる仕事』は機械がしていくのではないかと思う。

     

    訪問散髪に遠方に行く場合、とある駐車場に車を止めて、

    そしてそこを拠点にしていろいろなお宅に伺う。
    その駐車場はおばあちゃんとおじいちゃんが管理人をしていた。
    そこには笑顔があり、天候の話があり、ちょっとした会話があった。
    その駐車場がとうとうコインパーキングになった。
    会話をすることに疎ましさを感じる人はそれでいいのかもしれない。
    便利になったと言えばそうかもしれない。
    でも私は寂しさを感じる。
    コインパーキングの機械も一応は『ありがとうございます』って言ってくれる。
    お互い知り合いでもないのに…。
    そのありがとうございますに
    こっちも
    『いえいえこちらこそ』とは答えないし…..
    ただただ機械社交辞令。

     

    セルフレジもどんどん増えている。
    機械にバーコードを読み込ませ、
    自分でお金をいれる。
    それをちゃんとしてバーコードを通しているのかを監視をしているスタッフさんはいる。
    でもなんかそのおばさんに睨まれているようでどうも好きではない。

    お金を投入してお釣りが出てくる。
    その時のお札の揃い方が嫌い。
    裏表が不揃いだったり、綺麗でないお札が出てきたり。
    最低でもお札は揃えようよ。

    機械だからできるんじゃないのかな?って思ってしまう。

    人間様のレジの場合、綺麗に揃えてくれる方は揃えてくれる。
    ありがとうに心がこもっている場合もある。


    みんなそれが疎ましいのかなぁ?

    年賀状はメールでいいのかなぁ?

    大事な人にはちゃんとしないとあかんのとちゃうのかなぁ?


    その昔、広告代理店に勤めていた時代。
    地方のテレビ局や新聞社の方の接待で京都の料亭などによく足を運んだ。
    いわゆる一見さんお断りのお店たち。
    祇園だったり上七軒。そして隠れた名店たちにもよく行った。

    なんで一見さんお断りなんやろ。
    なんでこんなに敷居が高いんやろ?って最初は思った。

    初めて行った時はこちらも緊張したし、なんとなく値踏みをされているような感じ。
    それが同じお店に何回か行ったあと会計時に
    『請求書送らせていただきます』と言われた。
    「いやいや今払います』と言ったら
    『もううちにはきてもらえませんの?長いおつきあいさせておくれやす』と。

     

    要は信頼関係なんやと気付かされた。
    人と人。会社と会社。
    その関係性をちゃんと双方が吟味して
    そしてそのお互いのリスペクトバランスがちゃんと取れたとき、
    いわゆる『一見さんでなくなる』

    これはどんな仕事でも言えることであって
    どんな商売にも言えることであると思う。

     

    簡素化され、効率的にだけ進もうとしているこの時代とは全く逆の方向性のものなのかもしれない。

    馴染みになるというのはとても双方が疲れる。
    でもそうなることによって『楽(らく)にもなる』し『楽しくもなる』
    馴れあいになるのではなく、慣れ親しむことによって生まれる安堵はとても大事だ。
    しかしそこにいくまでには時間がかかるのは当たり前で、当然ながらリスペクトは不可欠であると思う。

    時間がかかることによって、双方の好みも理解でき、そして癖もわかる。
    良い点も悪い点も見えることによって補ったり省いたりもできる。
    これが実はサービスなんじゃ無いだろうか?

     

    わざわざが好きな古川家。
    ポップコーンを買う場所は大阪のポップコーンパパ。
    ハードロックカフェはUCW。
    チョコレートは神戸の壱番館。
    あじゃりもちは百万遍の本店。
    インド料理は宝ヶ池。
    りんごは長野の農家から。
    みかんは愛媛の農家から。
    ゆず胡椒とちりめん山椒は上賀茂のさくらい。

    これらは全部そこの『人に惚れた』から『わざわざ』をしている。

     

    大事なのは人。

     

    そこでのちょっとした会話が心を和ませてくれて、安らぎをくれる。
    それが商売なのではないだろうか?

    方向がちゃんとしていない不揃いのお札がでてくる機械。
    無機質な機械の声の『ありがとうございました』
    私はいらない。

    じゃあなんでこうなったのか?
    人間もちゃんとお札を揃えていないし、心がこもった『ありがとうございます』を言えていないからなのではないかと。
    そしてそれを改めさせる、教育する人間がいないからではないかと。
    教育=パワハラではない。教育とパワハラは全くもって違うベクトルである。でも紙一重でもある。
    要はここにもでてくるのは『信頼関係』であると思う。
    教育を受ける側と教育する側の信頼関係がなければ
    教育=パワハラになってしまう。

    で、それがどうした?とも思う。
    お客様には関係ないこと。
    心がこもっていない『ありがとうございました』を発せられても何も心に響かない。
    心がこもっている音はちゃんと心にまで届く。

    やすいものはやはりやすいもの。
    いいものはやはりそれなりの値段がする。
    それを見極めるには買う側も物事をちゃんと知っておかなければいけない。

    それを踏まえた上でやはり言えることは
    『いいものは高い』
    そしてそれは当たり前の事。


    うちの家の好物の一つの『ゆず胡椒』
    ほぼ毎日『鍋』でもいい我が家にはなくてはならないもの。
    近くのスーパーで買えば500円もあればおつりがくる。
    しかし、我が家は『京料理さくらい』さんで購入する。
    倍以上のお値段。
    しかし美味い。
    『ほんまもん』の柚子胡椒。
    柚子の香りがかなり良い。

    お店に行っても買えない。
    いつ空いているかもわからない。
    基本、結婚式の披露宴などを専門でなさっている料亭。
    普通にはいけないし、気軽さもない。
    でも『ほんまもん』

    京料理さくらいさんのサイトからリンクをしている『京の煮焚きもん』のバナー
    大々的に告知をされているわけでもなくある意味ひっそりした告知。
    そこから買うしかない。

    大事な方へのお中元やお歳暮には使わせていただいている。

    我が家用にも
    何度か購入させていただき
    こないだ『ゆず胡椒』を1コだけオーダーした時、
    なんとオーナー自らがうちの家にまでご持参くださった。
    1,380円
    そのためにわざわざお届けくださった。それにお土産までつけてくださった。
    赤字やん!

    そして何よりも感動したのが『あわびの貝殻』を1つくださった。
    どうやら私のブログなどを読んでくださってるようで、
    私は細々したものを作るのを知ってくだっているようだった。
    御朱印を集めていたり、木工をしたり、陶芸をしたりしていることもご存知だった。

    あわびの貝殻は磨くととても綺麗で、
    玄関などに飾ると魔除けになるいわれがある。

    『磨いてみてください。下処理はしてあります』と言われ1,380円だけ持って帰られた。
    脱帽。


    人と人との信頼関係をしっかり結びつけるにはとても時間がかかる。
    で、それはとても邪魔くさい。
    でも、そこから生まれ、そこで感じられる安堵感や喜びや満足感はとても今の時代にはない大事な感覚だ。

    簡素化や便利さや効率ってのは良い作用もあるけど
    何かを失って行くような気がする。
    それよりも『敷居の高さ』『じゃまくささ』は
    その後に得られる『満ち足りた感じ』は大きいような気がする。

    京料理さくらいさんの『もうひとつのさくらい』というのがある。
    結婚式や法事以外でもさくらいさんの京料理を食することができる。
    が、まだいけていない。
    お値段もなかなか。
    いつかはお邪魔できるような身分になりたいし、ぜひ味わいたい。

     

    『邪魔くさいこと』
    時代に逆行しているかもしれないが
    私は好きだ。
    その先には安堵と安らぎがある。そして癒される。

     


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